時間の概念研究所、略して「時らぼ」

時間の概念的だなあ、と思った事を遺していきます。

”寿命の種類”は2つある!?

「寿命が長くなった?」

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時間の価値というものが時代や状況によって様々な変化を伴うことは、前回の記事(

時らぼ、はじめました。 - 時間の概念研究所、略して「時らぼ」)でご紹介しました。

 

tokilab.hateblo.jp

 


しかし、「その価値の変化はもっぱら感覚にすぎないのでは?」と疑問に思う人もいるでしょう。

 

1分=60秒

 

時間という概念は人類が「出来事」「変化」を『認識』するために作ったものであるために、1分という時間は不変的でなくてはならない。

 

つまりこの60秒が早くも遅くもなるのはそれを認識する個人の主観的な感覚であって、寿命が延びているのも説明がつかない。延びている錯覚を得るだけなのだ。

 



同じ1時間でも、、、?

広瀬すずと1時間デート

大嫌いな数学の授業1時間


広瀬すずとデートの経験がないので、想像の話になってしまうが多分前者の方が時間が短く感じる。

 

実際に短くなっているわけではないのに。

 

しかも広瀬すずが世紀のブサイクに見える奇跡の目の持ち主がいたとしたら、その人にとっては1時間がとても長く感じるのでないだろうか。

 

そもそも数学が大好きな人だっているだろう。

 

時間の伸び縮みは幻影なのだろうか。



寿命は延びる、、、?

もし仮に人の命がセミよりも短い1時間だとしたらデート後死ぬのも授業後死ぬのも寿命という点においてはなんら変わりはない。

 

この身体的に限界を迎えてやがて死に至るまでの寿命を、僕たちは 機能寿命と呼ぶことにした。

 

この機能寿命。

 

延びていることは皆さんも承知のことでしょう。

 

単に医療の進歩だとか、十分な栄養のある食事だとか、一概に根拠を説明することはそれに関しての知識がないので明言は避けるが、とにかく一昔に比べたら延びていることは確かだ。

 

この、いわゆる機能寿命を延ばすために人類はとてつもない努力を惜しんできたはずだ。

 

しかし、どこまでも寿命が延びるわけではない。

未だに150歳の老人は見たことない。

 

かつての中国の始皇帝も不老不死を目指してから現在に至るまで、誰一人実現できていない。

 

もしかすると、技術的や医療が発達し、今後この機能寿命を延ばすことができるかもしれないが、まだ未来の話である。


しかし、僕たち21世紀に生きる人類は、生涯を通して永遠の命を求め続けた始皇帝よりも、明らかに寿命が延びている。それは単に機能寿命が延びただけではない。

 

機能寿命とは区別した、

「生活寿命」が鍵になるのである。



次回は この「生活寿命とは?」というテーマを解き明かします。